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GFK - サンチュ・空芯菜・ルッコラ


千葉県旭市にある有限会社GFKさん。6.000㎡の敷地に土を使わない水耕栽培施設を構え、サンチュや空芯菜のほか、バジル、ルッコラなどのハーブを育てています。「子供に食べさせたい野菜のおすそ分け」をモットーに、摘みたてを無洗で食べられる野菜を育てています。近年では農場イベント「青空バーベキュー」の定期開催や、全国の買い手が競りに参加できる “卸売市場”アプリ「ラクーザ」への参加など、新たなチャレンジを続けるGFKさん。いままでとこれからのお話、お伺いしました。

 

鉄骨造のビニールハウス

土を使わない水耕栽培設備

50tの地下埋設タンク
2億円の借金・水耕栽培への覚悟

農家を始めたのは父でした。当時は水耕ではなく露地栽培、いわゆる畑でした。生産品に特にこだわりはなく、メロン、とうもろこし、春菊など、さまざまな野菜を育てていました。当時、農家のせがれは手伝って当たり前の時代。友達と遊ぶ前に、段ボール箱を作ったりすることが嫌で「農家なんか絶対に継ぐもんか」って思ってましたよ。父親が水耕を始めたのはわたしが中学生のとき、いまから30年前くらいですね。その時の農産物の売上では生活できないので新しい野菜作りに挑戦だ!という決断でした。建物から設備まで2億近く借金したそうです。


そこから葉物中心の生産にシフトしました。新たに生産を始めたハーブやサラダ菜は、当時はまだメジャーではなく、特に国産ハーブの生産は稀でした。そのため、おかげさまで帝国ホテルや機内食メーカーさんからも、沢山のご注文をいただけていました。その後、個人農家ではなく、法人化して取り扱いアイテムを増やさないか?とのアドバイスを受け、平成3年に法人化しました。そうすることで仕入れ販売もできるようになり、取引の幅が広がりました。例えばうちで作っていないミニトマトを、近隣のミニトマト農家さんからヘタを取った状態で直接仕入れて販売できるようになったり、生で食べられる小さいサラダほうれん草も沢山使ってもらっていましたね。この時期くらいから、両親は深夜まで働いていたことを覚えています。子供4人を育てながら2億円の借金を返していく覚悟。いま思えば並大抵のことではなかったと思います。

 
「全く売れない父のハーブ」25歳での決断

父には「家を継ぐか否かは25歳までに決めろ」と言われていました。継ぐかどうかはわからないけど、25歳までにいろいろな経験をしたい。両親の苦労はつゆ知らず、そんな気持ちがありました。そのため高校卒業後は1年間、オーストラリアの語学学校へ行きました。この一年で、とても良い友人と貴重な経験ができました。帰国後も楽しかった思い出と、やり残したことがあったため、再びオーストラリアへ行くために3年間、ビニールハウスの建設や、肥料や動物の餌を取り扱う会社で働き、渡航費用を貯めました。そしてワーキングホリデービザで1年間オーストラリアへ。現地では将来のことは考えることなく、観光牧場や高級焼肉店で働きながらホームステイをしていました。

オーストラリア時代の浪川さん(真ん中)

23歳で帰国すると父親から「東京の大田市場で働いてこい」という指令が。真意はわかりませんでしたが「家の農家を手伝ってるよりはいいか」という軽い気持ちで大田市場の仲卸として働き始めます。仲卸さんとは中央市場と小売店の間に入り、農家が中央市場に卸した商品を小売店に売るお仕事です。つまりわたしは、父が作った野菜を中央市場から買い付け、小売店に売る立場でした。

そこで見たウチの野菜は、競売の後でも買い手がつかず売れ残っている状態。軽い気持ちで働き始めたわたしは、厳しい現実を突きつけられました。原因としては当時、日本全国でハーブの生産がブームになっていて、すでに安く簡単に手に入る商品になっていました。日本全国で人気が高まり、生産過多で消費量を大きく上回る飽和状態...値段は暴落してました。ホテルや航空会社からあんなに引き合いがあったのにも関わらず、知らぬ間に時代は変わっていました。「父が作った野菜は買い手が付かない、つまり魅力がない。世間から必要とされてないんだ」と、うちの現状がそこでよくわかりました。「あんなにたくさん野菜を卸してるんならそれなりに儲かってるだろう」と、わたしは勝手に思っていました。当時わたしは23歳、家を継ぐかの決断まであと2年。 かなりヤバくない?と思いましたね。

大田市場(浪川さん提供)

親父、おふくろが朝から晩まで一生懸命働いて作っていたハーブですが、市場では買い手がつかずに朝まで並んでいる状況でした。悔しかったです。両親の商品をバカにするなと。しかし、落ち込んでばかりはいられない。売らなければいけないんです。売れないけれど、売らなければいけない。必死でした。1日14時間くらい当たり前に働いていました。


売れ残っていたGFKのハーブをターレーという市場の移動車に積み、仕入れが終わって帰ろうとしている八百屋さんやスーパーのバイヤーさんを捕まえて、なんとか買っていただけるよう懇願する日々。なかには「歌を歌えば買ってやる」と言われて歌ったこともありましたね。「物を売るってことは大変だ!誰かがうちの野菜を売ってくれるから、生活できるんだ。ありがたいな」と気付くことができました。でも肚の中では、ウチの両親が作った野菜を小馬鹿にした人達に「あなたの野菜が欲しいです」って言わせたい...いや言わせてやる!という強い思いがGFKを継ごうと決めたきっかけで、人生のターニングポイントとなりました。

仲卸の経験を活かした原点回帰

大田市場の仲卸は職人の世界でした。罵声や蹴りは当たり前。夜10時から翌日昼の11時くらいまで、普通に13時間くらいは働いていました。身体はしんどい。一生続けられるかといったら自分はわからない。でも充実はしていたし、日々の達成感もありました。今日もやりきった、っていうね。そんな仲卸を2年もやっていると、おかげさまでお客様はけっこう付いてくれたんです。ありがたいことに「もう少しいろよ」と、仲間や社長からも引き留められましたが、最初からタイムリミットは2年と決めていたので、退職をして家を継ぎました。いまから20年前ですね。継いでからまずは、仲卸の経験を活かした販売に力を入れました。その昔、両親がホテルや航空会社に対して行なっていた仕入れ販売を強化していくことにしました。調子が良かったころのうちの原点に戻ることにしたんです。しかも、今回は中央市場を通さずに直接、お付き合いのある仲卸さん達との取引ができる。仲間も多くて販路も拡大できる。まずはわたしが得意なこと実行していきました。中央市場と同じか、少しだけ安い価格で、納品数と品質を安定させて、うちも仲卸さんも、お互い無理はしないで長いお付き合いができるように心がけていました。継いでから6年間くらいは、1日17時間くらい働いていましたね 。仲卸の時代が楽に感じられましたよ 笑。

みなさんの想いを大切に「子供に食べさせたい野菜」を

うちで育てているハーブは減農薬です。無農薬ではありません。農薬は害虫や病害を防除するために、最低限度で使用しています。それは安定的な供給を実現するためにも必要なんです。でも、散布時期と使用回数、希釈倍率を遵守しているので、収穫時期のものはそのままでも食べられます。肥料にアミノ酸も混ぜているので野菜の棚保ちが良い、エグミや苦味も少なく、葉の柔らかさもご好評いただいています。水耕だけど嫌な辛さや苦味も少なく、パリッとした歯ごたえも好評いただいています。「自分たちの子供に食べさせたい野菜のおすそ分け」をモットーに、安心、安全な野菜作りに家族で取り組んでいます。

サンチュ

いまは父から譲り受けた6000㎡の敷地のうち、60%がサンチュ、10%が空芯菜、そのほかバジル、ルッコラ、イタリアンパセリ、セルフィーユ、ミント、フリルレタスなどを育てています。そのほか仕入れ販売も継続していて、県内はもちろん全国の新鮮な野菜を取り扱っています。


水耕栽培のメリットは、台風や大雨でも畑が水没することはありません。365日、安定した量を供給することができます。「シェフがメニューを考えたけど畑が水没で野菜が届かない」「楽しみにしていたメニューだけど野菜が届かなくて食べられない」そんなことはありません。楽しみにしているお客様やシェフの想いを大切にしたい。なので目指しているのは365日安定供給…ですが、日照不足や天候不順、高温多湿で収量減になる事もあります。少しでも沢山の方にウチの野菜を手に取ってもらえるように、食べてもらえるように、日々勉強し挑戦しています。

水耕で育てる空芯菜

いままでとこれからの20年

この20年でだいぶ時代も変わりました。20年前に思い描いていたことと現実は違いますが、図らずもいい形になってきていると思います。例えば生産品にしても、サンチュやハーブだけでなく、作ろうと思っていなかった空芯菜やフリルレタスも作るようになっています。父の時代はいわゆる一社依存型。ホテルや機内食の需要が下がったときに大きな影響を受けました。それを繰り返さないためにも、この20年間はお取引先を増やすことを意識してきました。いまではチェーン店さんから個人店さんまで100社以上はあると思います。みなさんの提携農家としてお手伝いできればと思ってきました。お客様のご要望を形にした結果が、空芯菜やフリルレタスなど、新たな需要を取り込めたと思っています。

あとはうちで開催している定期イベント「青空バーベキュー」もあります。農家が採れたての新鮮野菜やお肉を持ち寄ってお客様に提供する、新しいバーベキューの形です。おかげさまで旅行会社主催の千葉県の町興し大賞なども頂いたりして好評です。これもいろいろなご縁で開催することができています。会社の経営的にはまだまだ苦しい状況が続いていますが、内容としてはおもしろくできてるかなと思います。


これからも時代は劇的に変わっていくと思います。中央市場の在り方、販売・取引の形態も様変わりするでしょうし、どうなるのか見当もつきません。中央市場は今までのような「農家が商品を売り切る場所」ではなく「最低限の数を捌く場所」「農家のセーフティネットのような存在」になるのではと考えます。インターネットやアプリを介して、農家とお客様が直接やりとりできる機会が増えました。この動きはこれからも顕著になっていくと思います。そんなときに、全国の買い手が競りに参加できる “卸売市場”アプリ「ラクーザ」のお話をいただいたので参加しました。まだまだ市場規模は小さいですが、これからの伸びしろに期待を寄せています。

この先、どんな時代になっていくかはわかりませんが、GFKは時代に揉まれながら20年先も続いているといいなと思います。父から受け継いだ設備も老朽化しています。改修も必要です。また億単位の借金を背負うかもしれません。会社が存続するためには避けては通れない道...無理に息子に継がせようとは思ってませんが、息子に継ぎたいと言わせる会社で在りたいと思ってます。


有限会社GFK ー 浪川 誠


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